ナノサイエンスの先駆者?飯島澄男終身教授

インタビュー(2015年8月24日)

インタビューに答える飯島終身教授

カーボンナノチューブ(筒状炭素分子)の応用研究が国内外で活発になっているが、その発見者は名城大学大学院理工学研究科の飯島澄男終身教授。文化勲章を受章し、国際的な賞を数々受けている飯島教授に天白キャンパスの研究室で近況を伺った。

―――多忙さは変わらないと思いますが、最近はどんなペースで生活していますか。

「週のうち4日は名古屋、1日は筑波といったペースでした。産業技術総合研究所(茨城県つくば市)のナノチューブ応用研究センター長の仕事は3月で終わりましたので、これからは名城大学に集中できます。日本学士院会員なので、東京?上野の日本学士院には月1回の例会に出席します。名古屋大学の特別招へい教授も務めているので、名大にも指導に行きます」

―――多趣味だとか。

「母校の電気通信大学オーケストラ部時代に始めたフルートは、今でも研究の合間に息抜きに楽しみます。1997年、ロンドンの英国王立研究所で開かれた『金曜講話』に招かれた際は、講演の冒頭で「グリーンスリーブス」を4小節だけ演奏し、喝采を浴びました。年1回、富士山麓?山中湖畔の音楽ペンションで開く大学オケ仲間の演奏合宿は欠かしません。高校の山岳部時代に覚えたスキーも現役で楽しんでいます。今春は韓国での学会に出席した際に滑りました。オーストリアのチロルで毎年開かれる研究会に参加すると、午前中は仕事をして午後はスキーです。大学時代は山岳部にも所属し、岩登りをしていましたが、今は山登りはあまりしません。渓流釣りもやります。トラウト釣りです」

―――子どものころは自然に親しんだとか。

「自然をこよなく愛し、動植物の観察、収集をして育ちました。私たちの同年代の人に共通しますが、ラジオ少年でした。ラジオを組み立てたり、飛行機や船の模型工作に没頭したりしました」

―――少年時代から好奇心旺盛だったんですね。

「旅行も好きです。知らない所に行くことが楽しみです。名城から出るときは休養に行くようなものです。海外出張は疲れません。むしろ息抜きです。リュックを背負ってどこへでも出かけます。洗濯物は1日で乾くので、余分な衣類は持っていきません。不要なものをそぎ落としていくと、デイパックに収まります。今年はインド、スリランカとデンマークに行ってきました」

―――研究の信条、座右の銘、愛読書を教えてください。

「研究者としては行動派です。座右の銘は特にありませんが、強いて言えばチャレンジかな。読書は乱読です。最近読んだ本で面白かったのは、『日本国最後の帰還兵 深谷義治とその家族』です。第2次世界大戦の戦中?戦後に日本軍のスパイとして中国で活動した兵士の息子が書いた本です。深谷さんは中国当局に逮捕され、1978年の日中平和友好条約締結に伴う特赦で帰郷しました。この条約の締結直前に訪中し、中国の研究者と交流したことがあるので、時期的に重なる出来事として興味深く読みました。中国訪問は丸?進先生(名城大学名誉教授、元学長)が団長でした。2012年からは中国科学院の会員です」

―――高度な電子顕微鏡の技術をもつエキスパートでもありますね。

「独創性のある研究をしなければならない。それを如何に行うか。私は1970年から82年までアメリカのアリゾナ州立大学で研究員をして過ごしました。この間に、物質構造を原子レベルで解明する高分解能電子顕微鏡技術を世界に先駆けて開発しました。物質は小さくすると、違った性質が出てきます。それを追求するのがナノサイエンスです。私は電子顕微鏡で原子の姿を見ることに魅せられてその改良と観察技術を磨いてきました。肉眼では見えないものが電子顕微鏡だと見える。これは面白いと。例えば、いい鉄材を作るには闇雲にやっても効果がない。原子のレベルで評価しなければならない。名古屋地域は自動車産業などが競って研究をしていました。名城でも、丸?先